KOJI YOSHIOKA
9.72017
視覚を初めとした五感の記憶と写真 Ⅱ
②匂いの記憶とイメージ
九州の山里が少年期を過ごした場所である。
家の前を小川が流れていて、その流れは菊池川に注ぎ、大河となって有明海へと流れ広がっていく。
昭和30年代の日本が大きく変貌を遂げ続けている頃である。小川には魚や生き物が数多く棲んでいた。魚の種類も豊富だった。場所によっては所々が薮になっていて、川の中を魚を獲りながら下って行くと何に遭遇する解らない緊張感と興奮に満ちていた。
そんな小川も5月の末頃になると夥しい数の光が闇を飛び交う。ホタルである。光の点滅を繰り返しながら飛ぶホタルは美しかった。友達とホタル獲りによく行った。ホタルを獲る道具は手製だ。
ツバナと呼ぶ小さなカヤの穂を昼間採っておき、竹の先にくくり付け、その穂先で飛んでくるホタルを捕まえる。ツバナの穂は柔らかく綿のように優しい手触りだ。その道具で捕まえるとホタルをキズつけないで済むのである。手の平の中で光を点滅させるホタルを優しく包んで眺めるのが好きだった。
手のひらの中で、光がなくなった後に残るホタルの匂いには独特のものがあった。生臭いような、色香を感じるような、摘みたての草のような、それらを綯い交ぜた儚い光の残り香である。50年過ぎた今でも。ふっとその匂いに似たものを感じる時、匂いの正体を探して記憶の海からイメージが沸き上がり広がる。
今という日常の中で忘れていた記憶が、ふっと鼻を横切った一瞬の匂いに呼び覚まされ、その時の情景をともないながら確かなイメージとなって甦る。その記憶の海から湧き上がるイメージこそがリアリティそのものではないかと思えるのである。
目の前に広がる風景とレンズを透していかに向き合うか?
写真は簡単に写るが、その表現は奥が深く実に面白い。