KOJI YOSHIOKA
9.72017
視覚を初めとした五感の記憶と写真 Ⅲ
③記憶の海に残る場所の空気感
皮膚で感じる風や湿度といった感覚以外に、背筋が寒くなるような気配もまた場所の空気感として感じることがある。
山には鬼が棲み、川にはカッパが棲んでいたのが昔の日本である。月に兎が居ないことが解って以後、鬼やカッパも日本の山河から姿を消した。
ラフカディオハーンこと小泉八雲の小説に登場する妖怪たちも姿を見せることがなくなった。
しかし本当に存在しないのだろうか?
昭和30年代の日本の山里には不思議な妖怪たちが紛れもなく存在していた。村里では存在を伝える話が日常生活の中で語られ、話はリアリティを帯びて広がっていた。
その話には妖怪たちの棲み家が重要な要素として必要であり、恐ろしい気配を漂わせた不気味な場所の存在が不可欠であった。そんな場所には独特の空気感が漂っている。背筋が寒くなるような魔界への入口のような空気感である。
祖父母から聞いた話を確かめる思いもあって、話に出て来るいろんな場所を探し歩いたことがある。そこは昼間でも背筋が寒くなるような魔界の気配に満ちた場所であり、夕闇の中では間違いなく妖怪たちが存在するであろうと思われた。
光と闇には存在するものたちを変質させる力が備わっている。空気感もまた光と闇の微妙な重なり加減で見え方が異なって来るのである。
その光と闇の微妙な重なり加減を感知しない限り、空気感が見えるはずもなく写真に写ることもない。
空気感とは存在だけでなく、場所の記憶をも包み込んでそこに在るからだ。